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院長 廣島雄幸
プロフィール

生い立ち

幼い頃は、食も細いうえに胃腸が弱く、風邪をひいてはしょっちゅう病院に通うような子供でした。小学4年生頃から、人並みに食事が摂れるようになり、そのころから少しずつ体力も付きはじめ、病院へ行く機会もめっきり減っていきました。
小学校の頃に4回、転校を経験しているので親友と呼べるような仲間になかなか出会うことができず一人で遊ぶことが多かったように思います。
私はもともと引っ込み思案な性格の上、あがり症だった為、人前に出てしゃべることが苦手でした。国語の授業の時の音読は苦痛で仕方なかったです。(笑)
大人になるにつれ、少しずつ人前で話す機会が増え、自分自身の気持ちの持ち方などを勉強し、改善されてきましたが、生まれ持っての性格はなかなか変わりません。ただ、 気持ちの持ちよう一つで、いろいろ改善出来るということがわかってきました。

職歴と治療家になるまでの経緯

中学生の頃より、ヘアスタイルに興味があり、横浜工業高校別科 理容科に入学。
同校卒業後にホテルパシフィック東京の理髪佐藤にて勤務。
有名ホテルということもあり、お客様は一流企業の社長さんから政界の著名な方が多く、緊張感が絶えない職場でした。様々な層のお客様とお話しさせていただくことは、自分の知らない世界の知識が広がり得るものが多い職場でもありました。
接客から所作に至るまで指導を受け、お客様が何を求めて来店されているのかを察することが出来るように常に意識するように学びました。
シャンプー、ヘッドマッサージ、髭剃り、カット等をそれぞれ1000回以上練習しないと、お客様に触れるが出来ないというお店の方針でした。今思えば、同じことを1000回以上練習するということは一つ一つの技術の精度を上げる為の物だったのだろうと思われます。何事も向上心を持ち、やり続ける事の大切さを学ぶことが出来ました。

理容師は3年半ほど続け、その頃には、お客様から厚い信頼を受け沢山の指名を頂戴することがき、理髪店への売り上げ貢献も益々多くなっていきました。仕事のほうも順調に忙しくなってきた矢先、染毛剤の薬液でアレルギー反応を起こしました。
そのアレルギー反応は、手指の爪が9割ほど、はがれてしまうというものでした。はがれた爪と指の間に、散髪した際の髪の毛が入り込み、髪の毛の先が針のように剥がれた皮膚へと刺さりこむのです。あまりの激痛と、治したいという気持ちで方々の病院に通いましたが、とある病院で理容師を続ける限り治る見込みがない宣告されてしまいました。
毎日のように薬液を扱う理容師の仕事は、このアレルギーが起こったことにより断念することになりました。

その後、4年間サラリーマンも経験しましたが、理容師の時のような充実感や達成感などを得ることが出来ず、悩んでいると高校の頃に起こしたバイクの事故で怪我した際に、お世話になったマッサージとリハビリの先生方のことを思い出したのです。
人の身体を治して感謝され報酬まで頂ける。こんな良い仕事はないと純粋に思いました。
自分の為に生きると私利私欲にかられます。だからといって人の為に生きるまで人として出来ていない。なので自分が太陽みたいに明るくなって、人も明るく照らせるようなそういう事をすることにしました。子供の頃から、肩もみや腰を踏みほぐしたり治療のまねごとは沢山していました。やってあげた人が喜んで楽になったよと言ってくれることが大好きでした。

治療家になった今では、急がば回れで理容師になったこともサラリーマンになったこともすべて治療家へとつながっていたのかなぁと考えています。
自分の好きなことをして、人の喜びになったり、感動を与えたり、役立ったり、明るい気持ちになっていただけたりこれって最高ではないかと思います。これからも私は好きなことをやり続けるために、お客様の気持ちに寄り添い、もっともっと精進して極めていきたいと思います。